
「アンギアーリの戦い」という作品で、当時のフィレンツェが1440年にミラノとの戦いで勝利を収めた記念として、フィレンツェ共和国からの依頼を受けたレオナルド・ダ・ヴィンチがヴェッキオ宮殿の大会議室「500人大広間」に描いたとされている。(1503年)
当時はフレスコという描き方が主流であった。これは壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだフレスコ(新鮮)な状態の生乾きの間に、水または石灰水で溶いた顔料で描くというものであった。
ダ・ヴィンチは名作「最後の晩餐」をフレスコで描いたのだが、この方法では、失敗したら漆喰をかき落としてやり直すしかないので大変な苦労をしたようだ。それに懲りてか「アンギアーリの戦い」は油絵で挑戦したという。この絵はダ・ヴィンチ最大の大作と言われた。
ところが、表面の絵の具が流れ落ち出し、急いで乾かしたものの絵画の下半分しか救うことができず、ダ・ヴィンチはこの壁画の完成を諦めた。しかし、その中心部分の素晴らしさは賞賛され、その後多くの画家によって模倣されていった。
しかし、1555年から1572年にかけて大広間は宮廷として改築されたが、この時の改修工事でダ・ヴィンチの未完の大作は消失してしまった。
そして、440年の歳月が流れた。
衝撃のニュースが伝わったのは2011年11月のこと。フィレンツェで壁画を調査していた研究チームが、失われていたダ・ヴィンチの作品「アンギアーリの戦い」とみられる壁画を、別のフレスコ画の下から発見したのである。
現場には、「アンギアーリの戦い」消失後に、画家ジョルジョ・バザーリが別の壁画「マルチアーノの戦い」を描いているが、バザーリはこの際にダ・ヴィンチの作品の前に煉瓦の壁を作り、ダ・ヴィンチの壁画を残したのではないかという噂が昔からあった。
この調査はアメリカ地理学会やカリフォルニア大学などのチームがフィレンツェ市と共同で実施したもので、煉瓦の壁にある壁画に穴を開けて後ろの壁を電子顕微鏡で調べた。
その結果、ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」などの絵画に使われていたのと同様の顔料があることが判明した。さらに、漆喰のみの壁に、あるはずのない赤い物質の断片や絵筆で塗られたとみられるベージュ色の物質も見つかったそうである。バザーリが作った煉瓦の壁と後ろにある漆喰の壁との間には隙間があり、バザーリがダ・ヴィンチの壁画を残そうとしたのかもしれないとのこと。
イタリアの美術史家によると、バザーリが、尊敬するダ・ヴィンチの絵を壊すはずがないと言う。その証拠に、バザーリのフレスコ画の12m地点、フィレンツェ兵士が掲げている緑色の軍旗のところに、"Cerca trova"(探せ、さすれば見つかる)というバザーリによる文字が記されており、これがヒントであると言う。
科学の力で歴史の真実が蘇る時がきたようだ。事実は小説よりも奇なり。もし、ダ・ヴィンチの絵だったとしたら何故バザーリはそれを隠したのか。隠さなければならなかったのか。興味は深まる。調査は今後も続くだろうが、映画になりそうな話である。
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