それはないでしょう!
「貧者の一灯」の物語を彷彿するような「かめかむか」さんの「還付なき一灯」だが、そんなコラムに続いては変な話で恐縮だが、過去に体験した出来事を書いておこう。
数年前の出来事だが、北海道の友人から誘われ、雄大な北の国の大地で2日間ゴルフを楽しんだ。
仕事柄、空いた日に突然出発するところから、空席がなければ勿体ないがスーパーシートを余儀なくされることも多々あったが、そんな帰路のスーパーシートで予想もしなった事件に巻き込まれた。
千歳空港でゴルフバッグと手提げバッグを荷物として預け、孫達に頼まれていた北海道の空港限定の菓子を6箱購入。紙の手提げ袋に入れて貰って機内へと入った。
席はジャンボ機の前方の窓側。二人席になっており、通路側の乗客はまだおらなかった。
荷物棚を開けて手提げ袋を収め、席についてシートベルトを締めたタイミングで臨席の男性がやって来た。
彼は、私と同じような袋を持ち、それを荷物棚に収納して腰を下ろした。
定刻に離陸し、定刻に伊丹空港へ着陸したジャンボ機だが、ご存知のように、飛行機から
荷物が出て来る場所までは随分と歩くことになる。手提げ袋を持って通路を進みながら、スーパーシートのサービスの一つで、預けた荷物が先に出て来ることを思い浮かべ、ひょっとしたら着いた頃に出て来るのではと考えていた。
やがてその場所に到着。3分もしない内にターンテーブルが回転を始め、幸運にも私の荷物が一番に出て来るのを見て急いで取りに行った。
ゴルフバッグを肩にかけ、手提げバッグと土産の入った紙袋を両手で提げようと思った瞬間、何やら不思議な問題が発生していることに気付いた。土産袋の方から水が滴り落ちているからだ。
バッグを置いて確認してみると、菓子箱の角が全て濡れてしまっている。こんなことがどうして?と考えても原因が分からず、そこで近くにいた若い女性のスタッフに声を掛けた。
「こんなことって何か考えられことがある?」と聞いてみたら、「ちょっとお待ちください」と返し、手にしていたトランシーバーみたいな内線電話で機内スタッフに連絡。機長から「高度によっては結露が発生する場合があるが、今日の高度で発生することは考えられない」とのこと。
続いては客室乗務員とのやりとり。「出発前に荷物棚の確認をしているところから濡れることなんて有り得ない」と言うことだったが、現にボトボトという状態になっているではないか。
しばらくすると、考えられることは隣の席の乗客が関係しているかもと言うことで、「札幌からご到着の**様、恐れ入りますが全日空の窓口までお越しくださいませ」と館内放送が耳に入った。
それから5分も経たない内に、呼び出した人物が見つかったそうで事件の究明につながるだろうと期待をしていると、想像もしなかった驚くべき言葉が係りの女性から飛び出した。
「お客様同士でお話し合いを」と言うではないか。そこで呆れてしまって笑いながら「もしも喧嘩になったらどうするの?私は全日空の飛行機を利用し、その機内で発生した問題なのだから全日空側が対処するべきでは?」と反論すると、それを聞いていた上司らしき男性スタッフが「申し訳ございません。仰るとおりでございます。どうさせていただいたらご納得を?」と聞かれたので、「空港限定の商品なので、日に何便も往復される貴社で同じ物を購入して送ってくれたら」と提案し、やっと話が着陸することになった。
さて、判明した原因だが、やはり隣席の人物が関わっており、彼が空港の中の鮮魚店で買った魚を冷やすために入れられていた氷が解け、ビニール袋から洩れていたらしく、荷物棚には深さ3センチもの水が溜まっていたという報告もあった。
それから3日後、被害に遭った菓子6箱が送られてきたが、添えられていた手紙の事務的な内容に驚きを新たにした出来事だった。
過日に「借りと貸し」のタイトルで、体験した医療ミスについて書いたが、今日は、こんな出来事もあったと回想しながら、ちょっと長くなるがしたためておこう。(信じられないだろうが、本当の話です)
高知へ3人で出張に行った際のこと。用件が済み、食事も終わってホテルの部屋で寛いでいると、2人が同室していた隣室から電話があった。
「飲みに行きましょうよ」との誘い。時計を確認すると午後11時少し前。高知の歓楽街として名高い「はりまや橋」までは近いが、知らない店に行くのも抵抗があったので、昔から交流のあった地元の割烹の知人に電話を入れた。
「任せてよ。私も参加するよ。分かり易い所だから先に行っててよ」と返され、予約をしてくれ、店を片付けてから行くとのことだった。
ホテル玄関からタクシーに乗り「はりまや橋」付近で降り、聞いた通りに存在していた店がすぐ分かったが、中に入ったら3人の女性がいるラウンジ。平均年齢が50歳をはるかに超えている女性ばかり。それは知人好みであったのかは知らないが、クラブを期待して連れて行った若い男性達には予想外という表情が垣間見えた。
やがてやって来た知人を交えて1時間ほど過ごし、勘定を済ませ知人と別れ、ホテルへ戻ろうと言うことになった。
多くのタクシーが並んでいるが、人の姿は疎ら。それは東京や大阪の歓楽街とは異なった光景であった。
タクシーに乗ってホテル名を伝えて走り出した。後席でほろ酔い気分でいると、どうもおかしな感じがする。往路は5分も経たない内に到着した行程。確かワンメーターだったのに、復路は全く違う道を走行しているとしか思えず。メーターに目をやると深夜料金としても変で、もう1000円をはるかに超えている。
「運転手さん、来た時の方向と違っているような気がするのだけど」と言ったのは、助手席に座っていた若い人物。続いてホテルの名称を再確認すると、予想もしなかった運転手さんの言葉が。
「申し訳ありません。勝手な思い込みをしていました。
そんな謝罪に続いて聞いた言葉が面白かった。我々の宿泊するホテルとよく似た名称のホテルがもう一つあり、勘違いをされていたからである。
Uターンをして我々のホテルへ向け走り出したが、ホテルに到着する前に「プロとして恥ずかしい限りです。料金はいただきませんから」と言われるとすぐに玄関に到着した。
料金メーターを見ると2700円だった。運転手さんが降りてきて平身低頭され、料金はいただきませんの一点張り。「そんな訳には」と押し問答が始まったが、それを揉め事と勝手に解釈してしまったフロントのスタッフがやって来て「どうかなさいましたか?」と割って入る。そこで事情を説明し、「ねえ**(ネームホルダーを見て確認)さん。こんな場合にはお客さん側の言うシナリオで決めるべきでは?」と問うと、「左様でございますね」とだけ返した彼。
そこで運転手さんに向かって結論を出した。「フロントの方が言われるように、ここは客である私の言うことに従って欲しい。実際に2700円分の走行をされたのは事実だし、勘違いだと一方通行で解決策を提案されても困るのです。ここは、私の言う通りにしてください」
「お客様がそう仰るのだから、そうされては」とホテルマン。それでも納得出来ない表情を見せる運転手さん。そこで財布から3000円を出し、「料金2700円と高知での面白い思い出を与えてくれた御礼の300円、含めてこれで解決としましょう」
「そんな!」と引き下がろうとした運転手さん。目には涙が浮かんでいた。それを見て「嫌な客を乗せることもあるでしょう。私達も同じで、嫌なタイプの運転手さんに遭遇することもあるのです。あなたは誠心誠意謝罪をされ、プロとして恥ずかしいと仰いました。しかし、これは我々にとって忘れられない思い出になるのです。だから受け取ってください」
そこで運転手さんが号泣され、ホテルマンも貰い泣きをしている。「世の中にはこんなお客様もおられるのですね。明日からそんなお方との出会いを願って走ります」
その言葉でやりとりが解決をみたが、ロビーに入ったところでホテルマンから「いやあ、素晴らしい出来事を体験させていただきました」と言われ、ちょっと恥ずかしい心情に。
この出来事には続きがあり、助手席にいた若い人物が帰宅してからお父さんに体験談を聞かせたら、えらく感動されたとメールがあったのが懐かしい。
あの運転手さんが会社に戻られてからの会話や、家に帰られてから家族に話されたらどうだろう。また、その後に乗車されたお客さんへの話の種になったら、この金額でどれほどの人を幸せに出来たのだろうと考えると、この「幸せ列車」にぴったりのような気がするのは私だけだろうか?
正直言うと、酔っ払っていたからかもしれないし、俗に言われる「ええ格好しい」だったのかもと思っていることも付記しておこう。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「借りと貸し・・2」へのコメントを投稿してください。
チョコレートには縁遠いので、寂しい心情を併せてしためよう。
今やスマホと呼ばれる携帯電話が潮流だが、恋の喧嘩もメールでやりとりするところから、どんどんエスカレートする危険性が高いのかもと余計な心配をしてしまう。
携帯電話が世に出る前、社会に登場して驚いたのがポケットベル。最初の頃は鳴らすだけだったが、その後に進化してプッシュボタン電話に対応し、電話番号などの数字送信が可能となった。
途中でバイブ機能が加えられ、けたたましい音を消せるようになったが、電車の中やコンサート会場で鳴り響く音の主に、冷たい視線が浴びせられたのは現在でも同じことだろう。
それらは現在のような言葉の文字は不可能だったが、当時の恋人同士は互いにポケットベルを持ち、「194(行くよ)」「414(よいよ)」なんて打ち合っていたので長閑ではないか。
さて、こんなことを書くと高齢であることが分かってしまうが、昔の駅には「伝言板」という黒板みたいなものが設置され、待ち合わせをする人達の情報交換に重宝されていた。
筆者は書き込んだことはないが、友人仲間と遊びに行く時、遅れた一人に対して友人が書き込むのを見ていたことがある。
「15分も待った。限界だ。先に行く。後から来い」と書かれたが、それが信じられないほど見事な達筆だったことを憶えている。
書き込んだ文字は、必ず書いた時間を明記することが条件とされており、規定の時間が経つと駅員さんが黒板消しで削除するシステムとなっていた。
そんな伝言版には様々な人性模様が書き込まれていることもあった。あくまでも記憶によるものだが、「1時間待ったわ。もうお別れ。さようなら」「あまり怒らせるな。何を考えている。待つ方の立場を考えろ」なんて内容に勝手な物語を想像していたものだった。
今の若い人達のメールの文章には「絵文字」というものが多用されているとも聞くが、それはそれで思いを和らげる効果も期待出来ると考えられるが、戦争中の特攻隊として飛び立った若い人達が書いた手紙には涙なくして読むことは出来ず、こんな達筆で文章力が高いとはと心から感服したもので、鹿児島県知覧にある記念館に展示されているそれらを一度は見て欲しいと願いながら、そんな方々の歴史の上に今の我々の存在があることを再認識したいものである。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「世の流れに」へのコメントを投稿してください。
by 大阪ナイツ
2014.10.21
by 大阪ナイツ
2014.10.11
by かめ
2014.09.11
by 青空
2013.12. 6
by のんたん号
2013.11. 2
by 大阪ナイツ
2013.11. 2
by 大阪ナイツ
2013.08.31
by 大阪ナイツ
2013.08.12
by 田園豆腐
2013.07.20
by 大阪ナイツ
2013.07.10
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「それはないでしょう」へのコメントを投稿してください。