「物事の起こる前ぶれ」を『兆候』というが、それは多くの人には何の変化もなく日常の中に埋もれて素通りすることが多い。
「風邪の兆候」というのもそうだが、その時点では風邪をひくことになると予想できる人は少ない。
が、いるにはいる。
体制から離れてクールにものを見る人、常に人とは違う道を選ぶ人...共通しているのは彼らはごく少数派であるということだ。協調しないから少数になるのは自然のことだ。
そして多くの場合、彼らは変人、奇人というラベルを貼られて終わりである。しかし、冷静に見て分析した結果が当を得ることがある。今回のグーグルの変化の兆候はどうなのだろうか。
マイクロソフト社の社員だった人が2009年にグーグルに転職し、最近再びマイクロソフト社に出戻った。その人(ジェームズ・ウィテカー氏)はその経緯についてブログの中で「私が情熱を抱いたグーグルは、社員を革新へと駆り立てるテクノロジー企業だった。しかし、私が辞めたグーグルは会社が定めた1つの目標に集中する広告会社になっていた」と記している。
彼はさらに
「残念ながらGoogleは世界を変えるための場所ではなかった」
「グーグルでの最後の3ヶ月は絶望の嵐だった」
と述べている。
創造性を売り物に各種のサービスをヒットさせてきたグーグルのアキレス腱はSNSである。この分野では8億4500万人のメンバーを抱えるフェイスブックに水を大きくあけられている。
少し極端に言えば、SNSというのは閉鎖されたコミュニティ空間である。閉鎖されているから規模が小さいと単にローカルな世界で終わる。ところがインターネット人口(20億人)の3分の1強という超巨大な空間になると閉鎖された空間とはいえワールドワイドになる。
そのワールドワイド空間にグーグルの広告は入り込めない。広告はグーグルの収入源である。そこで、グーグルが自らSNSを作って対抗しようとしたのがGoogle+(グーグル・プラス)というサービスである。ウィテカー氏はGoogle+を担当するエンジニアリングディレクターだった。
しかし、これまでの快進撃がウソのようにこのサービスに参加するメンバーは伸び悩んでいる。(現在1億人)そして、これまでの自由でオープンな社風に変化が起きるくらいグーグルは焦っているようである。
創業者のラリー・ペイジ氏がCEOに就任してから、SNSでフェイスブックに追いつくことが最優先課題となり「Google+をサポートしないものはすべて離反とみなされるようになった」とウィテカー氏は述べている。
グーグルではこれまでにも数人の幹部が、起業家精神が失われたなどの理由で退社している。この小さな変化がグーグルの将来を大きく変える「兆候」なのか。グーグルの変化はWEBの変化にもつながる。この業界に携わる人はこの「兆候」をよく観察しておくべきであろう。
遠い将来、人類は滅亡すると言われている。
しかし、それが何年先なのかは誰にもわからない。あまりにも遠い先の話なので焦る人もいない。しかし、それが自分の生きている間に起こるとしたら状況は異なる。
世界破滅の日がやって来ると予言していたキリスト教の伝道師が、その日に何も起こらなかったことを受けて過ちを認め、もう予言はやめると宣言した。
この人はキリスト教放送局のファミリーラジオを運営していた伝道師ハロルド・キャンピング氏。最後の審判の日が2011年5月21日にやって来ると発表したが、この日が何事もなく過ぎると次は10月21日に予定をずらした。しかし、これも外れた。
予言では、5月21日に選ばれた者が天に召され、地上に残された者は天変地異に見舞われて10月21日に世界は終末を迎えるというものだった。
キャンピング氏は「われわれが間違っていたことを率直に認める」とコメントして世界の終末についての予言にはもう関心を持たないと宣言した。
このお騒がせ人間は1994年にも世界の終末を予言し、外れたにもかかわらず多くの信者を集め、中にはその言葉を信じて自宅や仕事や貯蓄まで投げ打った人もいたという。
純粋な人の方が騙されやすいのが常だが「人の言うことは一旦疑ってみよ」というガードが必要な世の中も悲しい。子供にそんな教育はしにくいだろう。
信号を守れと言う親が信号を守っていない矛盾を説明できるか。
信じる自由はあるが、信じさせる権利まではない。
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「アンギアーリの戦い」という作品で、当時のフィレンツェが1440年にミラノとの戦いで勝利を収めた記念として、フィレンツェ共和国からの依頼を受けたレオナルド・ダ・ヴィンチがヴェッキオ宮殿の大会議室「500人大広間」に描いたとされている。(1503年)
当時はフレスコという描き方が主流であった。これは壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだフレスコ(新鮮)な状態の生乾きの間に、水または石灰水で溶いた顔料で描くというものであった。
ダ・ヴィンチは名作「最後の晩餐」をフレスコで描いたのだが、この方法では、失敗したら漆喰をかき落としてやり直すしかないので大変な苦労をしたようだ。それに懲りてか「アンギアーリの戦い」は油絵で挑戦したという。この絵はダ・ヴィンチ最大の大作と言われた。
ところが、表面の絵の具が流れ落ち出し、急いで乾かしたものの絵画の下半分しか救うことができず、ダ・ヴィンチはこの壁画の完成を諦めた。しかし、その中心部分の素晴らしさは賞賛され、その後多くの画家によって模倣されていった。
しかし、1555年から1572年にかけて大広間は宮廷として改築されたが、この時の改修工事でダ・ヴィンチの未完の大作は消失してしまった。
そして、440年の歳月が流れた。
衝撃のニュースが伝わったのは2011年11月のこと。フィレンツェで壁画を調査していた研究チームが、失われていたダ・ヴィンチの作品「アンギアーリの戦い」とみられる壁画を、別のフレスコ画の下から発見したのである。
現場には、「アンギアーリの戦い」消失後に、画家ジョルジョ・バザーリが別の壁画「マルチアーノの戦い」を描いているが、バザーリはこの際にダ・ヴィンチの作品の前に煉瓦の壁を作り、ダ・ヴィンチの壁画を残したのではないかという噂が昔からあった。
この調査はアメリカ地理学会やカリフォルニア大学などのチームがフィレンツェ市と共同で実施したもので、煉瓦の壁にある壁画に穴を開けて後ろの壁を電子顕微鏡で調べた。
その結果、ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」などの絵画に使われていたのと同様の顔料があることが判明した。さらに、漆喰のみの壁に、あるはずのない赤い物質の断片や絵筆で塗られたとみられるベージュ色の物質も見つかったそうである。バザーリが作った煉瓦の壁と後ろにある漆喰の壁との間には隙間があり、バザーリがダ・ヴィンチの壁画を残そうとしたのかもしれないとのこと。
イタリアの美術史家によると、バザーリが、尊敬するダ・ヴィンチの絵を壊すはずがないと言う。その証拠に、バザーリのフレスコ画の12m地点、フィレンツェ兵士が掲げている緑色の軍旗のところに、"Cerca trova"(探せ、さすれば見つかる)というバザーリによる文字が記されており、これがヒントであると言う。
科学の力で歴史の真実が蘇る時がきたようだ。事実は小説よりも奇なり。もし、ダ・ヴィンチの絵だったとしたら何故バザーリはそれを隠したのか。隠さなければならなかったのか。興味は深まる。調査は今後も続くだろうが、映画になりそうな話である。
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