「翔ぶが如く」という小説があるが、その言葉通りに、飛ぶが如く過ぎ去ろうとする平成25年7月の最後の日を迎えた。
わが家の玄関の前にある2メートルに満たない木に蝉がとまって激しく鳴いている。そろそろ夏も後半に突入する。
年間を通して最も暑い「大暑」は過ぎたので、それより少しは暑さもましになるはずだが、感覚的には8月が夏本番のようなイメージが私には強い。
その夏の風物詩に「かき氷」がある。聞くところによると韓国にも「パッピンス」というのがあるらしい。甘い茹で小豆を入れたもので日本の“あずき氷”(氷あずき)と似ている。
伝統的な風物詩はその国固有のものだと思いがちだが、歴史を辿ると意外なところに由来していることがある。
「パッピンス」は韓国が日本の統治下にあった時代に日本から入ってきたという。原型は“あずき氷”にあるようだ。
初期の「パッピンス」は、氷を砕いた上に甘いゼンザイをかけて食べていたようで、その後、独自に発展して今では韓国の夏の風物詩となっている。
そう言えば、夏バテ解消には「激辛料理」がよさげである。1988年のソウル五輪前後からキムチなどの韓国料理が日本でも本格的に受け入れられ、1990年代には唐辛子をふんだんに使ったタイ料理が「エスニック料理」と称されてブームになった。
激辛とは切っても切れない縁のあるアジア、東南アジア諸国の中にあって、日本だけといっていいが伝統的に「激辛料理」がない。これも不思議な話だが、日本では、唐辛子はあったものの、漬け物、魚の保存食、炒め物、煮物などが各地で使われてきた。
日本での唐辛子の使われ方は、魚や野菜などの主菜の持っている本来の味を消し潰さないほどの脇役的なものだったと言える。
明治時代に入るまで、日本には肉を食べる習慣がほぼなかった。そのため、肉の強い味とのバランスを取るほど大量に薬味や香辛料を使う習慣もなかった。
中国人や韓国人が唐辛子に強烈な辛さを求めるのとは一線を画す日本の“慎ましやかな辛さ”を求める食文化が芽生えたという説にはうなずいた。
私事になるが、夏バテの真っただ中にあり、食欲もいまひとつ、頭もぼーっとしがち、何をやっても集中できない、調子に乗れない日が続いている。といっても病気のレベルではない。
こんな時は誰にでもある。そのうち調子も戻って来るだろう。それまでは淡々と“為すべきことを為していく”しかありません。皆様もお元気で~
幸せ列車の「久世栄三郎の世界」でコラムを執筆している久世さんは、かつて“日本一の葬儀司会者”とテレビで紹介されたことがある、業界では有名な人である。
本人に聞いたが、ある大規模な葬儀で司会を務めた時、遺族の中にテレビ関係者の方がいて、久世さんの司会進行と葬儀空間の演出に感動して「テレビに出演してもらえないか」という話になった。
これも縁とテレビ出演したが、その後の反響が大きく、葬儀関連のテーマで番組制作する時は大阪から東京に呼ばれて出向くことが多くなった。それには裏話があって、東京の葬儀社の人に出てもらったところ、視聴者の質問にうまく答えられず番組として失敗したことがあったからである。
その点で久世さんは、知識の深さ、話の面白さ、臨機応変な対応力、どんな状況のどんなシーンでも即興でシナリオ創作できる能力が買われたのである。テレビ局は「久世さんなら安心だ」として、多くの番組でお呼びがかかり出演した。(あの藤本義一さんの11PMにも常連として出ていた)
だがそんな経験ができたのも、本業の葬儀司会で長年培い、磨いてきた技術があってのことであったことは言うまでもない。
その久世さんは現在、大阪市内の葬儀社の会長である。彼が社長だった十七年以上前に、社員として働いていたよくできる女性がいた。その後家庭の事情で退職して気仙沼市に移住した。そして久世さんとは長い間、音信不通になっていた。
そこに一昨年の東日本大震災が襲った。気仙沼は地震と津波と火事で膨大な被害を受け多くの命が奪われた。久世さんは、気仙沼と聞くとその元女性社員のことが思い浮かび「無事でいるだろうか」と消息を気にしながら過ごしていた。それから2年余りの時が流れた。
不思議な偶然が発生したのは7月25日に私が載せた「気仙沼の元気が届く」というコラムであった。それを読んだ久世さんの目が点になったかどうかは知らないが驚いたことは事実だ。
そのコラムの末尾に気仙沼の新聞各紙の紹介記事があり、そこに、それとおぼしき女性の写真があったからだ。知っている人物と姓名ともに同じ、気仙沼という土地、写真からみた面影、この3つが一致した。
そして、昨日だったが、久世さんから「調べてくれないか」という依頼があったので幸せ列車の「出山映子の世界」でお馴染みの出山先生に連絡した。出山先生はその元女性社員の夫の姉である。
出山先生によると、17年ほど前に大阪でご夫婦で住んでいた。しかも、奥さんは大阪の葬儀社に勤めていたことがわかり、これは間違いないと思ったので、そのことを久世さんにメールした。
それにしても不思議なご縁である。平凡な日常の中にあっては奇跡と言える出来事であろう。間違いないだろうが、その通りならば、ぜひ再会を果たしてほしい。どこかにひっかかっていたものが一瞬で取り除ける。これも一つの「幸せ」というものだろう。
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昨日28日は一日中出歩いて(年のせいもあってか)疲れきって、夜7時をすぎた頃には上下の瞼が完全にドッキングしていた。
眠りに深く落ちたその直後に、知人から“世にも不思議な話”のメールが届いていたが、確認したのは明けて29日だった。その件は今後の展開があるので今は触れない。
昨日は、この幸せ列車にも登場する「パフォーマーもも」ちゃんの“初舞台”があったので観に行った。“初舞台”とカッコ付きで書いたのは、お金をいただいて芸を披露するプロの仕事としての初舞台ではないからである。
実は28日に大阪の繁華街・道頓堀に「道頓堀角座」ができたの記念して、そのこけら落とし(オープニングイベント)で野外ステージで大道芸をやった。「パフォーマーもも」ちゃんは今年になって松竹芸能の一員というか見習いのようなことをやっている。
テレビでお馴染みの人気芸人、円熟のベテラン芸人、売り出し中の若手芸人、明日を夢見る新人たちの末席を汚すような形で、今回はじめて挑戦したというカラーコーン7つをアゴに乗せてバランスをとる得意の芸を成功させて喝采を受けていた。(よく見るとカラーコンで紅白を表している)
ギャラが出たかどうかは定かではないが、これまでは公園とか空き地とか広場の一角がステージだったので、大阪ミナミのど真ん中の高い舞台は、本人にとってはさぞかし「大舞台」だったろう。
大きなミスもなく、すべりもなく、カミもなく、納得できる“初舞台”ではなかったかと思う。「パフォーマーもも」ちゃんのこれからの活躍に期待したい。
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